会社沿革

1913年 大正 2年 町田新之助が現在の北区田端に「町田可陽堂」を開設、創業する
1915年 大正 4年 「吸出し青膏 一名たこの吸出し」の製造を許可される
1922年 大正11年 神田旅籠町に転居
1923年 大正12年 関東大震災にて全焼する
1924年 大正13年 神田山本町にて営業を再開する
1926年 大正15年 現在の品川区大井町に転居する
1937年 昭和12年 渋谷区笹塚の現在地に転居する
1940年 昭和15年 有限会社町田製薬所を設立する
「吸出し青膏」は統制品目に指定され、原料資材の配給を受け、製品は日本全国に統制品として配給される
この頃、物資不足が深刻になり、軟膏を入れる容器が不足したため、木更津の蛤漁師より貝殻を取り寄せて容器として使用する
1945年 昭和20年 終戦 工場は全焼する
1948年 昭和23年 資本金50万円にて町田製薬株式会社を設立する
1952年 昭和27年 資本金を200万円に増資する
この頃、年間販売数が100万個を超える
1963年 昭和38年 年間販売数248万個を記録する
1966年 昭和41年 創立者・町田新之助逝去(80才)
町田弘が二代目社長に就任する
1989年 平成元年 資本金1000万円に増資する
1993年 平成 5年 二代目社長・町田弘逝去(68才)
三代目社長に町田美香子が就任する
1995年 平成 7年 ユリア軟膏(20%尿素軟膏)を発売する
2009年 平成11年 うるおっ手ユリア軟膏(20%尿素軟膏)を発売する
2011年 平成13年 資本金3000万円に増資する

創業者 町田新之助

創業当時 町田可陽堂

大正12年 関東大震災(T12.9.1)で全焼する直前の冬~春先
関東大震災で焼失してしまい、創業当時を知る他の資料は無い

昭和初期 町田商店

関東大震災後の昭和初期

取扱説明書 昭和12年以降 戦前

当時の販売価格が読み取れる
家庭用20銭 30銭 50銭
  医院用 2円 3円 5円 と書かれている

容器として使用した蛤 戦時中

戦中~戦後にかけて物資不足が深刻で、苦肉の策として木更津の蛤漁師より貝殻を取り寄せて容器として使用していた。

パッケージ 昭和21年

終戦直後の物資不足のため、薄紙に単色で印刷したもの

輸出用 昭和24年

アメリカのカリフォルニア、台湾などに輸出されていた

吸い取り紙 昭和27年

ブリキの看板

今は見られなくなったブリキ製の看板

雑誌広告 昭和35~40年代

いろいろな‘たこ’の図柄の広告

パッケージ 昭和35年

この頃から厚紙で2色刷りのものになる

昭和40年代、高知県須崎市西町で開催されていた夏祭り「大師祭」に協賛していた